乾燥地の潅漑農業における持続的発展
−砂漠化と灌漑計画−

鳥取大学乾燥地研究センター 山本 太平

  1. まえがき
     乾燥地における砂漠化面積は年間500万haに達すると言われる。砂漠化は近年に始まったものではない。古代オリエントの潅漑農法が「環境に対する挑戦と敗北」とされたように、人類の歴史において文明の繁栄に伴う周期的な現象である。特に潅漑開発に伴う砂漠化はプロジェクト実施による要因も強く、土地の風水食、水資源・土壌の塩類化を招き再生不能な生産基盤を生ずる。乾燥地開発に携わる研究者や技術者は、持続的な開発を計画することが重要であり、我国の新しい技術と対象地域の伝統的技術の融合を図ることが必要である。
     ここでは、現在我国の技術援助の盛んな乾燥地から、中国の毛烏素砂漠、中近東のイラン国及びアフリカ・サヘル地帯のニジェール国、ガーナ国、ケニア国を対象にして潅漑農業おける砂漠化の特徴と持続的開発に関し検討を試みた。なお本稿は、1995〜1996年度に実施した国際学術研究(学術調査)における調査結果を中心に取りまとめたものである。


  2. 世界の砂漠化と灌漑農地の土壌劣化
     1992年UNEP(国連環境計画)によれば、砂漠化は自然・人為的環境要因によって生ずる土壌の劣化であり、地球上の陸地面積150億haに対し乾燥地面積の割合は1977年の31%から40%に増加したとされる。乾燥地は可能蒸発散量ETに対する降水量Pの比で定義され、P/ETが0.05以下が極乾燥帯(陸地面積の8%)、0.06〜0.2が乾燥帯(12%)、0.21〜0.50が半乾燥帯(18%)、0.51〜0.65が乾燥亜湿潤帯(10%)を示す。土壌劣化が主要因になる砂漠化面積36億haは農地面積の実に70%に達する。土地利用別では草地、降雨依存農地、灌漑農地の順であり草地の場合が9割を占める。大陸別では、アジア13億haとアフリカ10億haが大きく他の州は1〜4億haを示す。
     一方世界の灌漑農業は今世紀になって急増し、FAOによれば灌漑面積が2億5千万haに達する。耕地(草地を除いた農地)面積に対する灌漑率は17%(農地面積の5%)に過ぎないが、作物総生産量の1/3を担っている。大陸別ではアジア、ヨーロッパ、北・中アメリカが10〜30%と灌漑率が高いのに対し、南アメリカ、アフリカ、オセアニアが5〜8%と低い。21世紀の灌漑開発は南半球を中心に進行すると推定される。
     一方1992年の地球サミット以来、灌漑農法も環境との調和が課題とされ、持続的開発が謳われている。特に乾燥地は作物の生育を促す太陽エネルギーが豊富であるので、適正な土壌水分条件下では驚異的な作物生産が期待できる。持続可能な農法には、降雨依存方式と灌漑方式の二つの流れがある。前者では作物生産の発展が期待できない。乾燥地を有する先進国では後者が積極的に実施され、FAO(世界食料機構)によって開発技術の体系化が進められている。灌漑農業が引き起こす砂漠化の課題は、土壌の風水食や塩類集積のメカニズムと対策、ひいては農地の持続的保全を目的にすることになる。


  3. 潅漑農業と砂漠化の事例報告
    1)中国の毛烏素砂漠における地下水源利用の場合
     毛烏素砂漠はオルドス高原の南部、北緯37〜40度分布し約400万haの面積を有す。毛烏素砂漠は中国砂漠地帯の東端の砂漠であり、解放初期105万ha程度であったが、1980年代初めまでに年間約10万haの速度で砂漠化が進行している。また本砂漠は標高が1,200〜1,500mの高原に分布するが盆地状の地形を有するので地下水源が豊富である。気候は半乾燥帯に属し年降水量が350mm、雨期が6〜8月を示す。主要産業は地下水依存による定住型牧農業であり経済体制改革が急速に浸透しつつある。牧農民の生産基盤では、砂丘地帯を中心として緑地の拡大と土地生産力の向上のために、新しい緑化技術と灌漑農法が適用されている。灌漑農業では一牧農家当たりの耕地面積が1ha程度で井戸を設けた小型ポンプによる地表灌漑法が主流である。最近年収入は全国の平均に近づき経営も安定化してきた。
     一方、この10数年来における砂漠開発(治砂、緑化、灌漑農法の導入)の結果、地下水の過大利用と塩類化が懸念された。大部分の農地では地下水の塩類濃度は灌漑農業が盛んになった1985年頃と同様であったが、一部分において地下水位の上昇や化学肥料の施用による土壌・地下水の塩類化(waterlogging)が認められた。今後は地下水開発が益々盛んになると推定される。地下水のモニタリングを行い、持続的な地下水利用を想定した生産基盤の確立と農村計画が必要とされる。地下水源の枯渇対策として地下ダムや地下水涵養地(裸地の砂丘地)の検討、塩類化対策として用排水システムの確立が提案されよう。
    2)イラン国における河川水源利用の場合
     イラン国は北緯30〜36度に分布し、北部のカスピ海域を除き大部分が乾燥地である。この20数年来において歴史的な革命と戦争を乗り切り、農業生産物の国内自給率は灌漑施設や防風林のインフラ整備が進み大きく改善された。ここではイラン国の主要な灌漑農業地帯であるエスファハン州、ファールス州、クーゼスタン州について説明する。気候は乾燥帯〜半乾燥帯に属し、年降水量が100〜400mm、雨期が12〜3月を示す。3州はいずれも、ザグロス山系を同じ水脈して、沖積大平原の河川を利用した大規模な灌漑農業(数万〜十万ha)地帯である。全国に対して、総耕地面積は15%であるが、主穀類において小麦が26%、大麦が24%、米が20%の生産量を示す。特に灌漑農業では、灌漑率がエスファハン州で90%、ファールス州で65%、クーゼスタン州で55%に達し(全国平均52%)、革命前に比べ独自な開発技術と新しい発展がみられる。一方、圃場と河川の塩類化は一層深刻な様相を示す。人口増に伴う主穀類の生産増、食生活の向上に伴う野菜・果樹類の生産増、商品作物の普及等により灌漑面積と灌漑水量が増加し、waterloggingによる水源や農地の塩類化が著しい。クーゼスタン州(665万ha)の場合、イラン国の主要河川であるカルフェ川、デズ川、カルーン川等が集中し、いずれも豊富な水量を有する。州の北〜中部は良質の河川水と土壌を有し主要農業地帯を形成しているが、南部は塩類土壌地帯を示す。これらの河川を利用して、近年いくつかの潅漑プロジェクトが完工している。デズ潅漑プロジェクト(11.5万ha)、カルーン潅漑プロジェクト(4.8万ha)、カルフェ潅漑プロジェクト(2.1万ha)、シャブール潅漑プロジェクト(6千ha)等である。一方、それぞれの潅漑プロジェクト地域では圃場内において用排水が分離されてはいるが、平坦な地形で地下水位が高いため最終的に排水が河川に流入する。このような河川利用方式では、各河川とも下流の塩類濃度が増加し、下流域における潅漑プロジェクトほど水源の塩類化が進む。河川水源の塩類化対策として、地域全体の河川・土地利用を考慮した広域的な灌漑排水計画を実施する、と同時に河川の水量、水質を常時モニタリングすることが必要である。
    3)アフリカのサヘル地帯における降雨利用の場合
     サヘル地帯(13.4億ha)はアフリカ中央部における東西7,000km、南北1,000kmの帯状域を示す。サヘルは8割が乾燥地である。乾燥地のうち、半乾燥(ステップ)帯〜乾燥亜湿潤(サバンナ)帯が34%を占め、年降水量が600〜1200mm、雨期が年1〜2回ある。ここでは、サヘル地帯からニジェール国、ガーナ国、ケニア国におけるサバンナ帯やステップ帯の灌漑農業について説明する。
     ニジェール国は北緯12〜22度に分布し、南部のサバンナ地帯からサハラ砂漠まで含む。ステップ〜サバンナ帯では年降水が500〜800mm、雨期が4月〜9月を示す。因子分析では雨期の湿潤度は鳥取と同程度、乾期の乾燥度はイラン国と同程度を示し、年間の気象環境の較差が著しい。また、12〜1月はハルマッタン風の影響もみられる。主要産業は牧農業であり、国土の60%が草地・休耕地を占める。農業においてはアワ、ヒエ、米、ササゲ、落花生、トウモロコシ、キャッサバ等が主要作物である。サハラ砂漠に近い程農地の風食が著しい。国際河川のニジェール河を中心に河川水、地下水等が豊富で灌漑可能地が多いが、灌漑施設がまだ未整備の状態であり灌漑面積は4.5万ha(灌漑率が1.2%)に過ぎない。
     ガーナ国は北緯5〜11度に分布し、国全体にわたって山脈の少ない平坦な地形を示す。ギニア湾から北に海洋サバンナ帯→落葉森林帯→ギニアサバンナ帯→スーダンサバンナ帯と乾燥条件が進む。サバンナ帯の年降水量1,000mm前後、雨期は4月〜10月に1〜2回ある。落葉森林帯は降水量が1,500mm程度である。主要産業は農林業であり、ココア、サトウキビ、バナナ、油椰子、トウモロコシ、ミレット、ソルガム、稲等が主要作物になる。一方、落葉森林帯では輸出用木材の無計画な伐採による森林破壊、サバンナ帯では開発重点プロジェクトによる環境汚染が急速に進み、政府の各種対策が強化されている。農地の土壌侵食では北部の風食、中〜南部の水食が顕著である。主要水源は湖、河川、地下水で水量も豊富である。灌漑施設がさらに未整備で灌漑面積は1万ha(灌漑率0.3%)程度である。
     ケニア国は南緯5〜北緯5度に分布し、中央部に1,200〜2,800mの高原を有し起伏の多い複雑な地形を示す。傾斜地では農地の水食が著しい。乾燥条件は国の北部ほど厳しい。サバンナ帯の年降水量が600〜1,000mm、雨期が4月〜12月に2回ある。主要産業は農業であり、紅茶、コーヒー、麦、黄麻、パイナップル等が主要作物になる。湖、河川、地下水源に恵まれ灌漑可能地が多いが、灌漑面積は5.2万ha(灌漑率2.1%)を示す。灌漑農業では年間通じ、穀類、野菜、果樹等が積極的に栽培されている。
     サヘル3カ国における砂漠化は、森林破壊、過放牧、人口増加に伴う過大な開発、水・土壌管理の不備を伴う農業活動等の人為的要因が主要である。一方農地における土壌侵食は顕著であるが、灌漑農業があまり発達していない現在塩類化の問題点が少ない。3カ国の特徴はアジアの乾燥地に比べ、年間を通した植物期間と豊富な降雨量にある。一方年降雨量の変動は大きい。平年降水量に比べ、渇水年の1/10確率年には62〜76%、1/100確率年には38〜60%に減少する。ここで、各農家において集水タンクを備えた小規模灌漑(数10アールの灌漑面積)システムの導入が提案される。このシステムでは雨期の降水を集水エプロンで人工的に集め、集水タンクに貯留して乾期に利用するものである。降雨量、作物の水消費量、用水計画値(灌漑効率、灌漑水量、間断日数)等をパラメータに用い、渇水年にも枯渇しないタンク容量とエプロン面積を設けることが必要がある。

  4. あとがき
     灌漑農法は、砂漠化を増大させる人為的要因の元凶のように言われるが、古代文明では数10世紀にわたって生産基盤を支え、21世紀では世界人口増を賄う大きな戦力になり得る。ここでは、毛烏素砂漠の地下水、イラン国の河川水、サヘル3国の降水を利用する場合を取り上げ、灌漑農業の持続的な発展に必要な提案を、二、三試みた。即ち、灌漑農業では、古来有する豊かな水資源を持続的に開発・利用し、水資源を常時モニタリングしながら、農地の土壌劣化防止に不可欠な水管理、土壌管理をきめ細かく実施することが重要であろう。
引用文献

1)佐野文彦:世界の小規模灌漑の概観、農業土木機械化協会(1995)
2)Edward Arnold:World Atlas of Desertification, UNEP(1992)
3)甲斐 論・姚 洪林:中国内蒙古自治区における砂漠の緑化に果たす牧民の役割と生産・生活システム、現在経済システムの諸問題(川口雅正・濱砂敬郎編)、九州大学出版会、pp.33-58(1997)
4)池浦 弘、魏 江生、山本太平、大槻恭一、井上光弘、駒村正治:中国毛烏素沙漠における地下水調査−乾燥地における潅漑農業の持続的発展(V)−、平成8年度農業土木学会大会講演会講演要旨集、pp.430-431(1996)
5)原 隆一:イランの水と社会、古今書院(1997)
6)Torii,k., Yamamoto,T., Kamichika,M., Otsuki,K., Hayashi,S., Shinmura,Y., Hoshi,T., Keshavarz,A. and Pazira,E. :Application of Satellite image data to large-scale water use system in arid areas of Iran, Proc. of the 17th Asian Conference on Remote Sensing, Colombo, Sli Lanka, pp. 4-8(1996)
7)農用地整備公団:平成6年度砂漠化防止対策実証調査報告書−ニジェール河流域−pp.258-267(1995)
8)田中 明・長 智男・山本太平:タンク潅漑システムの水収支シミュレーション、佐賀大農学部彙報、pp.85-93(1989)


平成9年10月25日(土)開催「市民公開講座」テキストより転載