メキシコ・バハカリフォルニアの自然と農業開発

鳥取大学農学部 藤 山 英 保

  1. バハカリフォルニアの位置と自然
     バハカリフォルニアは北アメリカ大陸西岸に南北にのびた半島で、メキシコ合衆国の領土である。その総延長はおよそ1,300km、広さは日本の本州に匹敵する。
     半島は北からボーダー地帯(LA FRONTERA)、コロラド沙漠(DESIERTO DEL COLORADO)、中央沙漠(DESIERTO CENTRAL)、ビスカイノ沙漠(DESIERTO DE VIZCAINO)、ヒガンタ山脈(SIERRA DE LA GIGANTA)、マグダレナ平原(LLANO DE MAGDALENA)、岬地域(CAPE REGION)に分けられ、それぞれ独特の気候を呈する。太平洋側は寒流が南下しているために概して冷涼であるが、カリフォルニア湾岸は暑い。
     まず北部のボーダー地帯はアメリカのカリフォルニア州と似た気候で冬雨型であり、年間降水量の90%は12月から3月の間に降る。その山岳地帯は海抜3,000mに達し、マツ類を代表とする針葉樹林帯がひろがる。この地帯の雨は冬には雪にかわる。その山岳地帯の東側のコロラド沙漠は雨が降らず、極端に乾燥しており、夏には気温が40゜Cを超える。コロラド沙漠や中央沙漠がバハカリフォルニアでもっとも暑い地帯である。ビスカイノ沙漠は寒流の影響下に発達した海岸沙漠で、気候は温暖・冷涼であり、雨は少ない。マグダレナ平原もこれに近い。岬地帯は暑く、しばしばハリケーンに襲われる。バハカリフォルニアの大部分は乾燥した大地で、人間が生活するには大変厳しい環境であり、「悪魔の半島」ともよばれる。しかしそれは一方では人間に侵されない自然が存在することを意味しており、魅力的な半島でもある。
     中央沙漠には高さが20mに達する巨大なサボテンであるカルドン(ジャイアントカクタス)をはじめとして多くのサボテン類がみられる。見渡すかぎりのカルドンの林は壮観である。また世界中でこの半島にしか存在しないシリオという不思議な形の植物も興味深い。夏には下草が枯れてしまうサボテン林も冬にはお花畑となる。カリフォルニア湾岸にはマングローブ林が点在し、シオマネキや熱帯魚をみることができる。


  2. バハカリフォルニアの主要都市
     バハカリフォルニアは北緯28度線(奄美大島と同緯度)を境に南北2つの州に分かれている。
     コロラド沙漠の中にある北の州都メヒカリはアメリカ合衆国との国境にあり、人口100万人の都会である。大陸メキシコからの鉄道の終点であるが、鉄路はそのままアメリカに続いている。太平洋岸の国境にあるティファナやその100km南のエンセナダは産業都市であるとともに、西海岸のアメリカ人が週末に気軽に遊びにくる観光スポットでもある。
     南の州都ラパスは半島南端に近く、カリフォルニア湾に面している。人口は18万人で北の州都メヒカリにくらべると小さい。自由貿易港であった昔のにぎわいは今はないと言われるが美しい町である。半島南端のカボサンルカスはバハカリフォルニアでもっとも有名な観光地で、日本からもツアーも多い。バハカリフォルニアは全体が風光明媚であるといっても過言ではなく、太平洋側、湾側どちらも海岸地帯には観光地や保養地が多い。観光はバハカリフォルニアのもっとも重要な産業のひとつである。


  3. バハカリフォルニアの農業
     農業は主にメヒカリ周辺と太平洋側の平野部で行われている。降水量が少ないために潅漑が必要である。太平洋側の平野部の潅漑水はボーダー地帯やヒガンタ山脈のような山岳地帯に降った雨が浸透した地下水を利用しているが、水源は不安定のようである。節水が不可欠であるため、点滴潅漑が主流である。
     まずメヒカリ付近に広がる農業地帯はその北部のアメリカ合衆国カリフォルニア州の大農業地帯であるインペリアルバレーと同様の農業形態で、コロラド川から運河によって水を引き、コムギやワタを栽培している。エンセナダから80kmほど南のサントトーマスはメキシコでは有名なワインの産地であり、広大なブドウ畑が広がっている。エンセナダから190km南のサンキンティン付近の農業は北バハで重要性を増してきており、トマトを中心に野菜類が栽培されている。また、北バハには大きな面積ではないがコムギが無潅漑で栽培されている地帯もある。
     南バハで最大の農業地帯はマグダレナ平原で、その中心地はシウダコンスティトゥシオンである。主に果樹や野菜が栽培されている。ビスカイノ沙漠にも野菜、果樹栽培地帯が点在している。
     バハカリフォルニアで栽培される野菜はトマトとトウガラシ(ピーマンを含む)が主で、その他スイカ、メロン、スカッシュ、ビート、タマネギ、アスパラガス、フダンソウなどが栽培されている。果樹はカンキツとブドウが主で、マンゴー、アボカド、パパイヤなども栽培されているが、近年イチジクがのびてきている。イチジクはもっぱら乾燥して食される。
     メキシコ人の主食であるトルティヤの原料であるトウモロコシはどの地域でも栽培されている。主食に近いフリホーレス(インゲン)や食用のサボテンとその実も至るところでみることができる。

  4. ゲレロネグロのプロフィール
     州境のすぐ南側の町ゲレロネグロはビスカイノ沙漠の中にあり、太平洋に面している。沖を南下する寒流の影響で冷涼であるため、サボテン類は存在しない。年間降水量は約90mmで、鳥取のおよそ20分の1である。その雨は冬に集中しており、夏はまったくといってよいほど降らない。年間をとおして海風が強く、特に春は強風が砂を巻き上げる。このような特徴をもつゲレロネグロの気候は天日製塩には最適であり、この町には世界一の面積(鳥取市と岩美町を合わせた面積)の製塩所がある。そこで生産された塩は日本、アメリカ、カナダ等に輸出されている。
     ゲレロネグロの人口は現在1万人強で、年々増加しているようである。人口の大部分が製塩会社の従業員とその家族である。そのためか治安はよい。町のスーパーマーケットにはアメリカからの輸入品も含めて物資が豊富である。特に風土病もなく、水の問題がなければ生活は快適である。水は約40km離れたところの地下水をポンプで揚げ、パイプで輸送し、町の住宅に供給している。塩を含んでいるのでそのまま飲むには問題がある。後述する農業開発プロジェクトではこの水を潅漑水に用いている。
     冬になると北方のベーリング海から体長14mに達するコククジラが出産と交尾のためにゲレロネグロをはじめとしてバハカリフォルニアの湾に南下してくる。この時期ホエールウオッチングを目的に多くの観光客がバハを訪れる。ゲレロネグロは半島の中央部に位置し、南への旅行の中継地でもあるため、町の大きさの割にホテルが多い。なおゲレロネグロとは「黒い戦士」という意味のスペイン語で、その昔ここの湾で座礁したアメリカの捕鯨船の名“Black warrior”に由来する。


  5. 国際協力事業団プロジェクト技術協力「メキシコ沙漠地域農業開発計画」
    1)1982年から1987年まで鳥取大学の竹内芳親教授を中心として文部省海外学術調査による「乾燥地域の農業開発に伴う耕地生態系の保全と生産性に関する研究」を南バハカリフォルニア州ゲレロネグロで行い、同地域における野菜等農作物生産の可能性を明らかにした。
     その成果に注目したメキシコ政府は乾燥地における農業技術の移転を日本政府に要請し、両政府間の密接な協議ののちに生鮮野菜・果樹等の農産物についての適正な農業技術の開発およびメキシコ人農業技術者を養成することを目的として「メキシコ沙漠地域農業開発計画」が1990年3月にゲレロネグロでスタートした。
    2)プロジェクトは農業生態、作物、土壌・肥料、潅漑、果樹・飛砂防止の5つの分野からなり、それぞれの分野の研究成果を総合して野菜・果樹の栽培技術を確立しようとするものである。各分野の実施計画の主なものはつぎのとおりである。
    農業生態
    T 病気(線虫、カビ、細菌類、ウイルス等)および害虫(虫、鼠、鳥等)による作物病害虫の観察法の習得
    U 病原体、害虫の圃場内での生態調査
    V 乾燥地に適応した病虫害防除法の確立
    W 野菜の周年栽培技術の確立
    作物
    T 野菜の生長解析法習得
    U 野菜の耕種法の確立
    V 野菜の有望品種の選定
    W 潅漑法、施肥法を含む総合的耕種法の確立
    土壌・肥料
    T 施肥法の検討
    U 施肥量と養分収奪量のバランスの調査
    V 土壌中での養分の動向の追跡
    W 土壌調査・分類法の習得
    潅漑
    T 節水栽培のための潅漑技術の確立
    U 耕作条件下における野菜別、生育時期別の潅漑技術の確立
    V 生活雑排水処理水ならびに塩水の潅漑利用
    W 農業気象の調査・解析方法の習得
    果樹・飛砂防止
    T 土壌侵食、飛砂防止のための防風林利用法の確立
    U 乾燥地に適応した台木と穂木の選抜
    V 果樹の栽培法の確立
    3)研究対象の野菜と果樹
    野菜
     メキシコでもっとも重要な野菜は上述のようにトマト、トウガラシ、メロン、スイカであり、これらが中心。他にレタス、ビート、タマネギ、キャベツ、カリフラワー、ブロッコリー、スカッシュ、ニンジン、フダンソウ等。
    果樹
     カンキツ(バレンシアオレンジ、ネーブルオレンジ、メキシカンライム、グレープフルーツ)、ブドウ、イチジク。


  6. おわりに
     バハカリフォルニアの農業がメキシコの農業全体に占める割合は大きいものではない。しかし変化に富んだ気候のためにメキシコで栽培される穀類、野菜、果樹の多くをみることができる地域でもある。したがってバハカリフォルニアでの農業技術の発展はメキシコ全体の農業生産の向上に寄与するものである。特に乾燥地の農業開発は国土の大部分が乾燥地であるメキシコの農業にとって大変重要である。

平成9年10月25日(土)開催「市民公開講座」テキストより転載