第2回「海岸砂防林の現状と課題
−日本海北部砂丘地を中心として−」

山形大学農学部 中島 勇喜

  1. はじめに
     我が国の海岸美の代名詞として「白砂青松」という言葉が当てられるほど、松原の続く砂浜は、我々が描く一般的な海岸の情景である。ここでは、この「白砂青松」の言葉をキーワードとして海岸砂防林の置かれている現状と今後の課題について、特に日本海北部砂丘地を中心に述べる。なぜなら、「白砂青松」の景観は、「砂地と砂防林」を表現しており、砂地農業と密接に関連して形成されてきたからである。しかし、今この言葉が以前のように、我が国の海岸美の代名詞であり続けられるかどうかの瀬戸際に立たされており、その現状は砂防林や砂地農業の将来へ多くの課題を提起していると考えるからである。

  2. 「白砂青松」の成立背景と治山・治水
     @「白砂」の成立背景とその危機
     砂防林や砂地農業を語る場合の最大のキーワードは、それらの成立および営まれる基盤である「砂」であると言っても過言ではない。したがって、まず、砂丘を構成している砂そのものの来歴について土砂移動の観点から述べ、至極当然ではあるが、山地から海岸までが「連続」しているとの認識の重要性をあえて訴えたい。
     「白砂」の言葉に端的にみられるように、我が国の多くの河川の河口域には海岸砂丘が分布している(1)。これは、我が国が四海を海で囲まれ、陸地は急峻でしかも降雨量が多く、山地で多量の土砂が生産され、河川は土砂を運んで海に注ぎ、さらにその土砂が波浪で海岸に打ち寄せられるためである。加えて、我が国の地質に花崗岩地帯が多いこと、さらに河川が急流で短いため、砂礫の摩耗が少なく、したがって「白砂」はまさに土粒子の分布でいう「砂」で構成されている場合が多い(9)。そのため特に、背後に平野を控える大きな河口近くでは、海岸に打ち寄せられた砂が強風によって移動する「飛砂」によって海岸砂丘が形成されている。
     下表は山地(山腹、渓流)→河川→海→海岸に至る土砂の生産と移動形態及び影響要因と対策工事を模式的に示したものである。
     このように、海岸砂丘地は、山地で生産された土砂礫が、河川では流水の作用で掃流砂・浮遊砂、沿岸では沿岸流の作用で漂砂、海岸に打ち寄せられてからは風の作用で飛砂という、一連の土砂移動の結果として生じたものである。
     したがって、砂丘地の「砂」は当然のことながら、山地、河川、沿岸における土砂の生産、流送と無関係ではありえない。山地から河川をへて、河口から送り出される土砂の供給量が多ければ砂地が発達し、供給が減れば砂地は波浪で削られる。「白砂」はこのような山地から河川、沿岸までの土砂量のバランスの結果として存在しているのである。
     ちなみに、上表の最下段における対策工中、「山腹砂防」、「渓流砂防」、「海岸砂防」を合わせて「砂防」と言い、本来はそれらの間に綿密な関連があってしかるべきであるが、現実にはそれぞれが個別的に実施されている。特に、山地における砂防である山腹砂防と渓流砂防との間には関連づけが容易であり、いずれも人的な災害の防止を伴うため、積極的に災害防止工事として施工されており、狭義の砂防と言えばこの2つの砂防を指し、海岸砂防は前2者と関連なく独自的に実施されているのが実状である。
     次に、図−1は山地、河川からの土砂の供給量の指標として、明治以来1981年までの治水(河川、ダム、砂防、機械)投資額(1975年価格)の5年間平均値を示している。戦前まで漸増していた投資が、戦後急激に増加し、治水施設の整備が推進されている。一方、これに対応して、海岸線の状況を、同図中に示した堆積海岸線の延長(A)/侵食海岸線の延長(R)でみると、戦前の1990〜1945年が1.45であり、戦後20年間の1947〜1967 年では1.05である(4)。その後、1978〜1992年にわたる約15年間では0.48となっている。これらのことから、近年以降の我が国の海岸線は著しい侵食を受けており、それが治水投資額にみられる山地における砂防及び河川工事によっていることは明らかである。
     また、日本全体で生産される土砂総量は、年に約2億m3ほどと推定されている。このうち、ダムなどに堆砂して山地に残るのが、年間6000万〜1億2000万m3ほどで、下流へは、途中の河床に貯留される土砂を含み、年間9000万〜1億2000万m3ほどが流下する(12)。治水投資額で明らかなように、戦後、山地では水資源の高度利用と山地斜面の安定化を目的として建設された貯水ダムや砂防・治山工事が実施された。大ダムや砂防ダムがほとんどなかった20世紀初頭に比較し、現在では、河川から海岸へ排出されて砂浜を養っている砂の総量が約1/2にまで減少してしまったことになる。
     ところで、海岸法(昭和31年)では、最高高潮面(海岸線から陸地へ50m幅)と最低低潮面(水深基準線から沖へ50m幅)との幅を海岸と規定しているので、潮間帯が狭い沿岸でも少なくとも100m以上の幅が海岸保全区域に指定されている。
     上記のような海岸線の侵食を受けて、この保全区域に離岸堤、消波堤、突堤、護岸堤等の侵食対策事業である海岸保全事業が施工され続けている。さらに所によっては、そうした海岸工作物によって潮流の変化をきたし、新たな海岸侵食地が生じたり、沿岸漁民とのトラブルも生じている。また、最近では限られてはいるが、人工的に砂浜を復元する「養浜」まで行われている箇所さえある。
     このように海岸線が侵食を受け続ける状況下で、我が国の本土四島における自然海岸線(てい線に工作物が存在しない海岸)の延長は1978年から1984年にかけて444kmが減少し、その後5年間では169.4kmが更に減少している。一方、これに対応して同期間に、半自然海岸(潮間帯には工作物はないが、後背海岸には工作物が存在する海岸)は161kmが、人工海岸(潮間帯に工作物が設置されている海岸)は251kmが増加し、またその後、半自然海岸は約6kmのみの増加であるが、人工海岸は378kmが更に増加している(13)。
     おおげさに聞こえるだろうが、このままでは、日本列島はいずれやせ細ってしまいかねない状況のただ中に立たされているのである。「白砂青松の海岸」どころか、「コンクリートに取り囲まれた海岸」が、我が国の海岸景観として歌われることになってしまいかねない状況下に現在の海岸はおかれている。  
     砂防・治山事業とは土砂移動を制御し、土砂災害を軽減するための事業である。山腹、渓流における土砂移動のみを対象として防止するだけでなく、河川、沿岸、海岸における一連の土砂移動のコントロールを成してこそ、本来の土砂移動の制御と言えるのではなかろうか。「白砂」の危機は砂防・治山の関係者に、そのことを強く訴えているとみることができる。
     「松青からんと欲すれど、白砂なし」の状況に立ち至っては遅すぎるのである。
     また、海岸砂地に何らかの形で携わる我々は、徳島県鳴門市の砂地農業における吉野川河口の「手入れ砂」の例(14)をあげるでもなく、自らの成立基盤自体が欠落しつつある現状を、危機感を持って受け止める必要があるのではなかろうか。そのためには、我々もまた、海岸砂地だけを対象として見るだけでなく、それ自体が、山地、河川での土砂の生産と移動の「つながり」の最終結果、即ち「上流部のつけ」として存在しているとの認識を持つことが重要であろう。
     A「青松」の成立背景と治山・治水
     飛砂防備林や海岸防風林等のいわゆる海岸砂防林の成立背景については、砂防林造成が盛んに行われた藩政時代以降を中心に、歴史的な観点からは検討されたものがある。(例えば、7)。しかし、上記のように、砂防林の成立基盤である海岸砂地が大きく変容していること、即ち治山・治水が砂防林の成立背景に無縁ではないと考えられるにもかかわらず、この視点からの検討は未だ行われていない。
     ここでは、砂防林の成立背景を治山・治水といった土砂移動防止の観点から検討する。
     そのため、まず、砂丘地では内陸部から海岸線に近づくにつれ、樹木の生存が困難になることに触れておきたい。これは、飛砂、飛塩、強風、土壌水分・塩分などの樹木の生育を規定する環境条件が厳しさを増すためである。しかし、これらの生育環境条件の中でも飛砂は、樹木が根をおろすべき基盤そのものの移動であることから、最も支配的な現象上の条件である。これらの条件に対する抵抗力の強い樹種として、結果的にクロマツが生育しえたと考えられる。このことは、同じ砂地の海岸であっても、例えば、「天の橋立」のように、飛砂の発生が見られない内湾では、海岸線ぎりぎりまでクロマツ林が成立している事例や、またいわゆる3大松原と呼ばれる美林の成立地のどれもが激しい飛砂地でなく、比較的風の弱い湾内に成立している事例からみても判断できる。
     ところで、元来、海岸砂防造林の方法は、その地の海岸の自然環境条件に対し、長年の経験によってそれぞれ適した方法が行われていた。しかし、大正中期から昭和初期にかけて、海岸砂防林造成法に関する研究が原勝,河田 杰、富樫兼治郎によってなされ、その後の砂防林造成方法の基礎が確立されている。これらの方法は、いずれも飛砂地に堆砂垣を作り、これを繰り返して前砂丘を築き、この前砂丘によって風上側からの飛砂発生を抑えながら、内陸部から前砂丘側へ植栽を進める方法である。この方法は全国各地で採用され、現在の海岸砂防林造成に大きな貢献がなされたとして高く評価されている。これらの方法のその最終目的は砂防林の造成であることは周知のとおりである。しかし、その初期段階に行う種々の土木的な工事(海岸砂防工)は、突き詰めれば、成立基盤である砂の移動を先ず以て防止する工事であるといっても過言ではない。最終的な飛砂防止は砂防林によってなされるが、その砂防林を造成するために、まず海岸砂防工と総称される各種の土木的な飛砂防止工事を、内陸側から徐々に行うのである。
     以上のような前提の下に、砂防林の造成範囲が時代とともにどのように変化したかを、山形県庄内砂丘の場合を例に図−2に示す。これによると、@砂防林の大部分が藩政時代に既に造成されており、海岸線近傍の樹木にとって生育環境の厳しい部分のみが残されていたこと、A藩政時代、明治、大正、昭和と、時代とともに砂丘内陸部から徐々に海岸てい線に向けて砂防林が造成されて来たことがわかる。
     これに対応する海岸線の状況をA/Rでみると、明治、大正、昭和の終戦までは1.45、戦後の20年間が1.05であり、その後は1.0以下となっている。このことから、山地に積極的な人為がなされいなかった戦前までの我が国の海岸線は堆積傾向にあり、現在より海岸線が前進していたことを示している。したがって、その当時の海岸は砂地面積が広く、飛砂が極めて激しいため、当時の技術では海岸線近くまで砂防林を造成することが困難で、内陸側のみの造成に止まっていたと判断される。
     図−1中には、昭和において造成された砂防林の総面積(国有林と民有林の合計)とその内数である国有林の面積を示している。これから見ると、昭和における砂防林造成のピークは1952年から1965年であり、海岸砂地地帯農業振興臨時措置法(1953年〜1971年施行)による食糧増産及び林野三公共の策定、保安林整備臨時措置法(1954年〜1964年)によるところが大きいといえる。
     戦後の海岸線の状況をA/Rでみると、戦後20年間では1.05となっており、その後、A/Rは1.0より著しく減少する。戦後の砂防林造成は、このように海岸線が徐々に侵食されて行く中で行われたのであり、海岸線が堆積傾向にある中での戦前までの造成とは、明らかに異なる状況下に行われたことに注目しなければならない。
     以上のことから、戦後、砂防林が海岸線近くまで造成範囲を広げられたのは、上記3氏による砂防林造成技術の確立また食糧増産という時代の要請下の法的な資金補助および、機械力の進歩もさることながら、A/Rから判断して、治山・治水工事の進行による土砂供給量減によって、海岸線が徐々に侵食され、その結果として飛砂が沈静化したことによると考察される。つまりは、本来、山地・河川における土砂の生産・流送を防ぐ目的のために施工された治山・治水工事が、@海岸砂丘地における飛砂の根源である山地・河川における土砂生産を減少させ、その結果A飛砂が沈静化し、Bより海岸線近傍がクロマツの植栽可能範囲に徐々に入っていった、と見なすことができるのではなかろうか。したがって、戦後の我が国の海岸砂丘地の飛砂防止に大きな一役を買ったのは、海岸砂防工事よりむしろ山地・河川における治水工事であり、そのことによって、海岸砂防工事は容易化し、それに伴う飛砂の沈静化によって、クロマツ林の造成範囲が海岸線側に可能になったとみることができる。
     図−3は1970年当時における飛砂害の構造模式図である(2)。この時点でも、既に1次災害である大規模な飛砂害の発生は抑えられており、飛砂防止のために植栽された砂防林前縁のクロマツ幼齢木が2次災害である飛砂による埋没害を受けている程度であった。現時点では、海岸砂丘地における砂防林は造成が終了し、飛砂害は著しく減少しており、飛砂害よりむしろ、植栽木の虫害、塩風害等の間接障害を生じている。
     このような飛砂害防止の成功によって、我が国の海岸砂防技術は高い評価を得ている。しかし、その評価は、計画的になされたことではないことは現在の著しく侵食を受ける海岸線の状況が示していることは明らかであるにしろ、飛砂の根源である山地(山腹・渓流)における土砂生産の抑止のための山腹砂防や渓流砂防が、海岸砂防に重要な役割を果たした結果として、判断しなければならない。

  3. 海岸砂防林の現状と課題
     我が国のクロマツを主林木とする海岸砂防林の現状と課題については、多くの指摘がある。ここでは、砂防林の現状と課題を、上記の土砂移動に関連して、「砂」の面から述べることとする。
     上述のように、生育環境の厳しい海岸砂丘地に成立しえた樹種は、クロマツであった。藩政時代の造林記録によると、実にさまざまな樹種が植え付けられており(7)、荒廃した海岸砂丘地に耐える樹種として、試行錯誤の結果、クロマツにたどりついたという経緯がある。しかしながら、このクロマツを主たる構成樹種とする海岸植生は、その地の潜在植生とは大きく異なっていた(16)。
     周知のように、クロマツは陽樹の高木であり、遷移過程からすると、生育環境条件が変わればそれに伴って、いずれはその地の潜在植生である陰樹の高木へ徐々に遷移するはずである。したがって、砂防林がクロマツ林であり続けられるかどうかは、その地の環境条件の変化の有無にかかっている。強いて言うならば、飛砂地に砂防林帯が成立しえたその時点で、その林帯の後方では既に生育環境が緩和され、それに応じて遷移が生じることになる。しかし、我が国の砂丘林でこの遷移がなかなか進まなかったのは、海岸砂丘地であるが故の風、砂、塩分といった生育環境条件が変化しにくかったことによっている。風、塩分といった条件は林帯後方では緩和される。しかし、成立基盤である砂は、石英分が約70〜90%を占めるため(9)もともと風化しずらく、土壌化の進行が困難であるという条件を有している。加えて、かってクロマツ林が地元の人々の燃料供給源を主とする生活資材供給源として重要な位置を占めていた(7)ことは、砂地の土壌化を抑制する大きな一因になったと考えられる。
     砂地に植栽されたクロマツ林地における植栽後の経過年数と腐植層の厚さとの関係の1例を図−4に示す(5)。同図は戦後植栽されたクロマツ林での結果であるが、植栽後の経過年数の増大とともに、腐植層の厚さが、漸増していることがわかる。このような成立基盤の変化にともない最近では、古いクロマツ林において、広葉樹が侵入している例が多くなっている。広葉樹侵入の一例として、庄内砂丘地の国有保安林の場合では、高木第1層は林齢約100年、平均樹高18mのクロマツであるが、第2層はミズナラ、コナラ、カスミザクラ、オクチョウジザクラ、オニグルミなどの潜在植生の構成種が約10mまで発達している。低木層はほとんどが樹高4m以下で、コマユミ、ヤマグワが多く、次いでヤマウルシ、ムラサキシキブ、ミズナラ、サンショ、ガマズミ、クサギ等で、その他冷温帯の樹種が見られた。林地には陽樹のクロマツの稚樹は皆無で、逆にミズナラが多く見られ、クロマツ上層木の衰退とともに、いずれミズナラを主体とする森林に変化していくものと考えられた(10)。
     この例のように、砂地の腐植化・土壌化が進んだクロマツ林では、広葉樹の侵入は徐々にではあるが、しかし確実に進んでいる。このような遷移は環境変化に伴って、時間的に徐々に進むことから、急激にクロマツ林が消失してしまうことはない。しかし、遷移のある程度進んだ林分は、クロマツの生育にとって良好な環境条件ではなくなりつつあり、樹勢が衰えている指標として見ることができよう。そして、我が国の砂丘地に見られる「青松」と呼ばれるような古いクロマツ林の多くが、現在そのような環境条件下にあるのである。
     一部上記したが、かってのクロマツ砂防林は防災目的の他、生活資材、農用資材等の供給源として利用され、地域住民と密接に結び付くことで維持されていた。しかし今、この状況にないことは周知のとおりである。上述のような樹勢の衰えたクロマツ林の増加は、こうした維持管理の基礎組織の崩壊によるものとみられる。
     植生遷移と異なり、急激な枯損にいたる松くい虫による被害は、その防止が声高に叫ばれて久しい現在でも、今なお、年間約100万m3もの被害が生じている(10)。この被害の直接的な原因はマツノマダラカミキリが媒介するマツノザイセンチュウによるが、上記のような管理不備による樹勢の衰えたクロマツ林の増加がマツ枯れの助長に一役をかっていると考えられる。  
     また、従来から、平野部を背後に控え、しかも厳しい自然条件下にある海岸砂丘地で問題となるのは、土地利用の問題であり、このことについては古くから着目されて来た。この土地利用とは、一つは砂丘地自体を直接生産的に利用することであり、他の一つは内陸部を強風、飛砂、潮風等から防ぐために砂地を治めることでことであった。この二つの問題の攻めぎ合いの中でクロマツの砂防林が造成されたのである。したがって、砂防林自体が砂地の有効利用と後方の防災という二つの問題を内包している。そして、この問題は当然のことながら、その時代の社会的な要請と連動している。最近の砂防林開発の例として、庄内砂丘地では、大規模開発よりむしろ、農道や高速道路を含む道路用地への転用に伴う保安林解除が顕著になっている(10)。松くい虫によるマツ林の大面積枯損はこのような土地利用の問題とからんで、砂防林の開発に拍車をかける結果ともなっている。また、それと同時に砂防林の防災機能の再評価が迫られている。
     上記のような遷移、松くい虫、土地利用等の問題は、その根源の1つがクロマツ林の維持管理不足にあることは明らかである。したがって、今後のクロマツ砂防林の大きな課題は、その維持管理組織をいかにして最構築するのかにかかっている(15)と言っても過言ではない。このことと関連して、クロマツ砂防林を、例えば、このままクロマツ林で維持するのか、或いは積極的に潜在植生を導入するのか(16)等、砂防林の今後の維持管理の方向づけを早急に決定しなければならない。加えて、現段階においては、防災機能と砂防林の林分条件(林帯幅、立木密度、樹高、地形)との関係は定性的な把握にとどまっている。防災機能を発揮する砂防林の最適林分条件を決定することは、今後の維持管理の上、また、土地利用上からも強く要求されている問題である。

  4. まとめ
     我が国の海岸砂防林の現状と課題について検討するに当たり、本論では、「白砂青松」をキーワードとして、まず海岸砂防林の成立を治山・治水といった、山地から海岸に至る一連の土砂の生産と流送及びその防止から検討し、特に戦後の海岸砂防林造成に山地・河川における治山・治水工事が重要な役割を果たしたのではないかとの問題提起を行った。
     次いで、砂防林の現状と課題を「砂」を中心とした観点から検討し、その変化に対応して植生遷移、松くい虫、砂防林開発等の今日的課題が、それぞれ相互に影響し合いながら、クロマツ林の減少を加速させており、その原因の源にクロマツ林の維持管理不足があることを指摘した。
     最後に、今後、クロマツ林を維持して行くためには、その管理組織の再構築が最重要であり、また、砂防林の厳密な防災機能の評価が重要であるとの指摘を行った。
     以上のように、海岸砂防林について、その成立基盤である「砂」を通して、「連続」の観点から、現状と問題点を述べた。

  5. 海岸砂防林の行く末
     上記のように、海岸砂防林は「砂」を通して見た場合、「上流部のつけ」を受けて成立した林であると言える。この海岸砂防林を、山地から海岸までの流域内に存在する一連の森林の中で位置付け、海岸砂防林を今後どのようにとらえるかについて、抽象的ではあるが、私見を簡単に述べる。
     従来、「砂防林」と言えば、砂丘地における飛砂防止のための「海岸砂防林」を指しており、本論でもそのように取り扱った。しかし、上述したように、山地で生産された土砂が渓流・河川を経て流送された一連の土砂移動の最終結果として、飛砂が生じることから考えれば、「砂防林」も「海岸砂防林」だけに限定した林としてのみ見るのではなく、「砂防林」=「流域における、山地から海岸までの一連の森林」、即ち「山地の森林→渓畔林→河畔林(中洲林を含む)→海岸砂防林」という一連の森林を、「上流から海岸までの土砂移動防止に関与する森林」即ち「砂防林」として見ることができるのではなかろうか。このように「砂防林」=流域の「一連の森林」として見ることにより、それらの有する土砂移動防止機能の位置付け(特に、渓・河畔林の土砂移動防止機能については明確にされていない)も進むものと考えられる。また、今後の「砂防林」の維持管理についてもより明確になると考える。「海岸砂防林」の飛砂防止機能も、この「砂防林」の一連の土砂移動防止機能の中で、その役割をより定量的に評価されるべきであろう。
     加えて、この「一連の森林」と見る観点は、「砂防林」が山地から海岸までの土砂移動防止のみならず、保健休養等を含めたいわゆる「森林の公益的機能」や、対象流域の自然環境保全及び最近、重要視されている「生物多様性の保全」にも大きな役割を果たしていることも、より明確にしていく手助けになるものと考える。
     海岸砂防林は流域「上流部のつけ」の結果として、造成された。それ故、海岸砂防林の将来も、直接的な林の維持管理はもとより、治山・治水、利水、親水といった水へ我々の今後のかかわり方や、海岸砂地は勿論のこと流域内の土地利用への我々のかかわり方、に依っているのである。
     今後の海岸砂防林の行く末は、こうした上流から海岸までの一貫した「流域管理」にかかっていると言えよう。

引用文献
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(3)
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(4)
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(5)
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(6)
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(7)
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(8)
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(9)
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(10)
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(11)
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(12)
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(13)
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(14)
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(15)
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(16)
中島勇喜
(研究代表):
日本海沿岸北部海岸林の潜在植生導入による保全技術,平成8〜10年度文部省科学研究費補助金研究成果報告書(1999)

平成11年11月12日開催「日本学術会議創立50周年記念公開講演会」テキストより転載