- 砂漠化と沙漠化
「砂漠化」の語の理解は多様である。砂漠化が地球環境問題として重視されるようになってからも時間的に幾分の変化がある。鳥取大学乾燥地研究センターのホームページには、1994年の砂漠化対処条約のDesertificationの定義、「乾燥、半乾燥および乾性半湿潤地域における気侯変動や人間活動を含む種々の要素に起因する土地の劣化をいう」を掲げている。1977年の第1回国連砂漠化会議では「土地・生物の潜在力の下降・破壊が原因で、砂漠に類似した荒涼不毛の広野の景観をもたらすこと」とまとめられていた。ここにいう土地劣化の内容は、@風食、水食による土壌物質の流失、A土壌の物理・化学・生物特性の劣化、経済性の劣化、◎自然植覆の長期喪失、である。1994年の定義は、場所、原因、内容を限定したと言える。
中国ではこのDesertificationを「荒漠化」と表現するが、約15年前に中国科学院蘭州沙漠研究所の朱震達らの著書「中国土地沙漠化発生発展及其整治」では、「沙漠化」は荒漠化の一種であって「沙質荒漠化」の略称であるとし、「元来沙漠でなかったところに風砂が活発な砂質の荒涼とした環境を形成するような土地の劣化」としている。1998年に出版された書物「沙漠学」にも、日本でいう砂漠化=荒漠化と沙漠化を別に定義しているから、日本流の砂漠化と中国でいう沙漠化は内容の広がりに差がある。
1998年の「沙漠学」での「沙漠化」の定義も、「風による侵食、堆積の地形景観を造るような土地劣化の過程」であって、「沙質な地表条件」がキーワードであるとしている。
ここでは、風砂が活発な砂質の荒涼とした環境を形成する沙漠化の問題、沙質な地表条件下で発生する沙漠化を考えるとき、風による流砂のみを問題にしていてよいのかを中心に、中国の半乾燥地を訪れたときに印象に残ったことを話したい。
- Flying Desert,Flying River
今春中国北京は10数回もの砂嵐の襲来を受けたようである。この砂嵐に関する情報をインターネットで検索するうちに、Flying
Desert という表現を見た。北京市中心から70q西北の官庁貯水池南側に70haほどの沙漠があるという紹介から、河北省のこの種の沙漠の成立を論じ北京はあの楼蘭古城とおなじ脅威に曝されているとの警告・威しを書いた「中国環境報」の記事であるが、この70haの沙漠が「天漠公園」という観光地になっていて、看板にFlying
Desertと書かれていたという。
簡単に紹介する。この沙漠がいつ頃出来たかを明確に言える人は居ないが、70年代にはわずか7mの高さであった砂丘は、10数年前に比して近年は砂移動が次第に大きく、現在は24mの高さで毎年4〜5mの速さで東進するようになった。官庁貯水池の南北の山の障壁が自然の風口を作っており、毎年冬春の狂風が内蒙古や山西省から砂塵をこの風口に送り込んで来る。南の壁になる山が風を弱め砂塵は天漠へ落ちる。河北省張家口周辺地域にはこの「天漠」を頭に北京に向かう「黄龍」のように、同じような飛来沙漠が5箇所並んでいて200q2の面積になっている。
筆者も、西安の北側、毛沢東がしばらく本拠を置いていた延安のある黄土高原の谷や、蘭州から北へ迂回する黄河の西にある賀蘭山脈を越える谷筋で、周囲の景色とまるで違う砂溜りが点在するのを見たことがある。しかも谷底から随分上の山腹に砂溜りがある。それぞれ毛烏素沙地やトンゴリ沙漠からの峰越しの流砂であるが、沙漠の砂が周辺地域へ拡がることの恐ろしさを実感した。
50年代5回→60年代8回→70年代13回→80年代14回→90年代23回→(2000年北京へ10数回)という激しい砂嵐の機会の増加は、北京を楼蘭古城に変えるか否かは措くとしても、Flying
Desert の成長、東進を加速する可能性はある。
Flying Desert の語に触れて、筆者はFlying Riverという語を思い出した。この語は、1928年にアメリカの土壌学者Benett
がその著書‘Soil Erosion−National Menace’で初めて使ったといわれる彼の造語である.第一次世界大戦後、戦場になったヨーロツパ各国の農業生産力が低下したこの時期、アメリカ農業資本家たちは粗放な機械化農業を大規模に展開し、土地を虐めつくした。Black
Bowlと表現される砂嵐が都会に来襲し、ミシシッピーのデルタもこの時期非常に早い速度で拡がったと聞く。アメリカ農務省土壌保全局が出来たのもこの頃であるが、土地劣化の克服策模索のため専門家が世界の土壌侵食対策の実情を見て回る。Benettは日本などにはFlying
Riverがあることを紹介した。Flying Riverとは、日本で天井川と呼ぶものである。山地から平地に流れこんだ河川は掃流カが落ち、流してきた土砂礫をその出口に残す。河床が上昇すると、次の洪水は地盤の低い方へ転流する。転流の繰り返しは、谷口に扇状の土砂礫の堆積をつくる。扇状地である。ここに人が生活する場合、川の自由な転流を規制するため人は堤防を築く。河水が土砂礫を落とす場所が河道内に制限され、河床は更に上昇する。堤防の相対的低下による氾濫に対処するため、人間は堤防を嵩上する。河床上昇と堤防嵩上の競争で、河道は周りの土地より高くなる。これが天井川である。多量の土砂礫を流す川と、人の高密度の土地利用要求の絵果、Flying
Rlverが出来上がる。川が流さなければならない土砂礫の量を増やすことにも、人間の活動は大きく関わる。Flying
DesertもFlying Riverも、それを造ることに人間活動が大いにかかわる。
- 風による流砂と水流による流砂
Flying DesertやFlying Riverの形成には人間活動が大いにかかわるが、それらを形作るものは風による流砂と水流による流砂である。流されるものは土砂粒子、流す力は気体の流れか液体の流れかの違いはあっても、ともに流体の移動にともなうものである。空気流による砂移動は日本では「飛砂」と表現するが、筆者が中国毛烏素沙地で砂の移動に出会った経験では「流砂」の方が適当と思う。中国では空気流によるものを「風沙」、水流が運ぶものを「河流泥沙」と書いている。
固体の砂を空気や水の流体カで運動状態にさせるので、現象的にはほとんど同じである。移動形式や移動した砂粒子がつくる地表面、河床表面の形態も類似し、呼称も共通である。相違点は、砂粒子を動かす空気と水の重さ(比重)と粘性である。また、風は毎秒数10mの速さでも移動するが、河水はそれほど早くは動かない。
空気や水の流れの中に置かれた砂粒子を移動させるのに必要な最低のカを限界掃流カという。空気流と水流に対する限界掃流カは、類似した式で表す。詳細は省くが、大きい砂粒ほどそれを動かすには大きな掃流力が必要である。智頭の河原の礫、袋河原の石ころ、八千代橋の下の河原の砂と下流ほど粒が小さくなるのは、下流ほど働いた掃流カが小さいからである。各場所で発生した掃流カで運べなかったものが、残され溜っている。
鳥取砂丘の砂は八千代橋の河原の砂より細かい。空気の動きがもつ掃流カが更に小さいからである。水に比較して空気の方が軽く粘性が小さいから、毎秒10数mの速さの空気が動かせる砂粒径は、空気より重く粘性の大きい水が毎秒数mの速さで流れるときに運べる砂粒径より小さい。
空気や水の流れはまた、地面を削る。風食、水食である。地面を削るに必要な力と土粒子群を運ぶに必要な力とは当然異なるが、詳しいことは未だ十分説明できていない。しかし、流体の重さと粘性が大きく影響することは間違いない。流砂能力と同様、空気流より水流の方が地面を削剥する能力は大きい。
- 中国の沙漠・沙漠化土地
中国の北緯35°〜50°の範囲に、南北600q、東西4,500qの沙漠帯があって、国土の1/6に相当する169万q2が沙漠と沙漠化土地で、毎年2,460q2の速さで拡大しているという。
中国北方の沙漠化土地を朱震達らは表−1のように分類している。
表−1を見ると、流砂・砂丘移動が沙漠化にもつ意味は大きくないと感ずるかも知れないが、彼らが沙漠化土地の条件等をまとめた図−1は強風が砂を流すことは沙漠化の必須条件としている。
しかし筆者は、何度か中国の沙漠化土地を訪ね、沙漠化には水が砂を流すこと、水が地表面を削り風移動可能な砂を作ることが大きな意味をもつと感じた。元来砂漠でない草原下にも必ず、水の営力が岩石を削剥し流して来た土砂がある。岩盤を直接草原が覆っているのではない。水が岩盤を削剥し、流水が運んで溜めた土砂の上に、耕地や草原は成立する。風も岩盤を削剥するが、水の力の比ではない。
それは論外としても、元来沙漠でなかった砂質な土地の不合理な利用で「風砂が活発な砂質の荒涼とした環境を形成するような土地の劣化」が、水蝕・水流による流砂でその切っ掛けを作られることが多い。
いくつかの例を話す。
中央の砂の丘の成因は不祥であるが、丘は風食は受け、強風で流された砂は右手に連なる小さい砂丘を作っている。
しかし又、中央の丘の左手=中央の丘の風上には、明らかに水蝕を受けた地形がある。
手前は、建設中の道路路盤で、その周りに道路を草原より高く造成するための土を掘り上げたと思われる凹地が続く。強雨時には凹地を列ねた水流を作る。
写真−1の近くで見かけた草地を欠く波丘地で、地表形態から見て、明らかに水蝕を受けている。
草原が何故裸地になったかは詳らかではないが、水蝕で生産された土砂が周辺に流出している。この砂は乾季には勿論、風により移動するだろう。
山西省大同市から内蒙古の首府フフホト市への途次にある。 周辺には農地が広がる。中央に見える沙地へ行くには、大きな川をひとつ渡る。
左側に見える山の中腹には、よく見る黄土高原の水蝕地形ほどひどくはないが、写真−4のように黄土を刻む水蝕溝が多数分布する。土地の農民たちは古くから水蝕で農地を喪失することとの闘いを続けてきたと話した。
中国人の研究者は、西方はるか黄河を越えたオルドス高原にあるモウソ沙地や、その北側のクブチ沙漠から風で流されて来た(Flying
Desertである)と説明したが、赤木三郎氏(放送大学鳥取センター長)と筆者は、この沙地は黄土で覆われた地域で水蝕で生産され河に流出した土砂が水が枯れる冬季に離水し、風で流されて出来ていると解釈した。中国山地から日本海へ流れこんだ砂が沿岸流で海岸へ寄せられ冬の季節風で上陸し、鳥取砂丘や北条砂丘が形成されたのと同じ機序である。
筆者は、この撮影地より北方で砂丘の移動調査をしていた。北の黄河沿いからこの沙地に入る途中では、白亜紀の砂岩を激しく削る水蝕谷を多く目にするが、モウソの中南部の沙地は風成であると思い込んでいた。しかし、昨夏の沙地南部の調査で、このような移動砂丘地帯にも、写真−6のように水流の侵食が明らかな地表面が多く存在することを確認した。
周囲の樹木は治沙のために植栽されたもの。都市のある盆地を囲む山々は、ほぼ無林状態である。200年前には丸裸になったという。人口が増え、炊飯と暖房のために伐り尽くしたからである。40数年前から植林が開始されたが、山地はよくない。盆地中の砂地植林・緑化は成功した。林の所々に固定された砂丘が散在した。
この写真で、緑化に成功し防風は十分された砂地でも、水は土地を削り続けていること、砂を流し続けていることを示したい。深さが1mぐらいの水蝕溝が樹林帯に多く隠れている。
このように、沙漠化の激しい地域、沙地化を一応治めた地域でも水による侵食や水による流砂のもつ意味は大きい。乾燥地、半乾燥地は雨が少ない。だから水による侵食や流砂を考えなくてもよいというわけにはいかない。この少ない雨は一時に降る。極乾燥地では数年に1回しか雨が降らないともいわれる。筆者は、中学生時に観賞した映画で見た、アメリカ西部の砂漠に降る雨の激しさ、激烈さ、その流れのもつ勢いに驚かされたことが今も記憶に残っている。
- 沙漠化防止と水土保持
中国では、水蝕の問題は水土保持の部門で行なっている。水土流失、水と土の流失でなく、水による土の流失であるが、これが問題になる面積は沙漠・沙漠化土地の倍以上、国土面積の38.2%、367万q2とされている。水土流失は乾燥地だけでの現象ではないからである。それ故か、沙漠治理と水土保持は、行政でも大学の学部でも別である。しかし乾燥地を対象にする場合、沙漠化防止と水土保持は総合的に考える必要がある。
水による流砂は風による流砂に繋がっている。沙漠化土地の素質のひとつである砂質な沈積物は、主に水流の働きで作られるものであって、沙漠化土地周辺の水土保持は沙漠化防止と直接的に関連する。沙漠化も風の力による流砂だけでなく、水による侵食・流砂も関わっている。沙漠化防止・沙漠緑化を考えるとき、水土保持・日本でいう山地治山にも目を向ける必要がある。
- 流砂で沙漠を治める こぼれ話(その1)
1991年の秋にタクラマカン砂漠の南縁ホータン地区の沙漠化と緑化事情を見にいった時、ウルムチからの飛行機の中で「ホータン緑州は洪水でつくりました。」と、案内者が話し出した。最初は意味がわからなかった。
コンロン山地の山麓裾にあたるホータンの平均年降水量は30o軌程度である。しかし、綿花・葡萄やメロン、水稲さえ作っている。コンロン山地から流下する2つの大河の水に依存できるからである。ホータン緑州はホータン河の2つの支流の扇状地に拡がる。扇状地は主に人頭大の礫の堆積である。けれども、コンロンからの洪水が何時も大礫を運ぶのではなく、ほとんどの出水は細砂を流送する。粘土粒子も多量に流す。「ホータン緑州は洪水でつくりました。」というのは、このシルト・粘土を、人頭大の礫で構成された扇状地や砂漠地に撒き散らすことであった。これらの川の中小洪水時のシルト・粘土、灌漑水と共に流すシルト・粘土は砂漠地の砂よりも細かい。人頭大の礫で構成された扇状地や砂漠地の保水性も改善され、砂漠が緑州に変えられていく。ポプラ(新疆楊)の植林地を砂漠地に拡大し、砂沙漠の流砂を抑え農地を拡げていく。「緑州を洪水が作る」のでなく、「人が洪水を利用して緑州を作る」、河水の流砂で砂漠の風砂を治める。よく出来た工夫である。
- 漏水が人を養う こぼれ話(その2)
コンロンから流れ出た洪水をホータン緑州の先端(砂漠の縁)まで配る灌漑水路は、その通水量から5階級に分けられている。最上級の幹線はブロック積み護岸をもつが、中程度の水路は人頭大の礫の空積み護岸で、最先端の毛細的水路は素掘りである。現地の担当者が緑州づくり・緑州保全を語る中で、「緑州先端まで灌漑水が届かないと緑化に失敗する。砂漠に帰ってしまうことがある。」と話した。筆者が「それなら護岸を練積みにするなり、幹線水路をパイプにするなり・・」と言ったところ、即返ってきた言葉は「人を殺すわけにはいかない。」???
彼の理屈はこうである。空積み護岸では確かに取った大切な水は洩れる。だが、緑州一面に展開する灌漑水路が水を洩らしているからこそ、緑州内の防風林は残存し、人は食料を作り屋敷内で水が飲める。水路の漏水を無くせば緑州先端に配水できても、緑州内での生活は成立しない。緑州作りのは無目的となる。
東京23区に年間に降る8億5千トンの水がほとんど使われることなく流されていること、洪水を一時も早く海へ流し出すことに腐心して来た日本の治水行政が雨水を地中に入れる工夫を始めたことに思いを巡らしながら聞いた。
平成12年10月21日(土)開催「市民公開講座」テキストより転載
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