土壌劣化の現状と修復に向けての課題
−灌漑に伴う土壌劣化の事例をもとに−
鳥取大学農学部
山本 定博
はじめに
乾燥地土壌の第一印象は、年間に1500〜2000mmもの降水のある超(?)湿潤地帯の日本で明瞭に層位が分かれた黒ボク土を相手にしてきた私にとって、なんと色気のない、味気ない土壌断面なのかということである(なかにはとびきり塩辛いものもあるが)。温暖湿潤気候下の日本の土壌を見慣れた目には、層位の分化が未熟な土壌が物足りなく見え、土壌生成における水の重要性を改めて確認した次第である。そして、乾ききった大地に水が加えられたとき土壌に生じる劇的ともいえる変化の大きさには更に強い驚きを感じた。ここでは、土壌劣化による砂漠化の危険性の非常に高い地域であるメキシコ、カリフォルニア半島内の乾ききった土壌と、その土壌に作物生産のために水が加えられたときに、土にどのような変化が引き起こされるのか具体例を挙げて述べてみたい。
乾ききった土壌
カリフォルニア半島は、メキシコの北西部、アメリカ西海岸の南に位置する。年間降水量が300mm以下の乾燥気候下にあり、大半のエリアは100〜200mm程度で、日本の年間降水量の1/10しかない(図1)。降水のある一時期(地域によって異なる)を除き、年間の大半の期間、大地は乾ききっている。
乾燥気候下は植生が貧弱で、土壌に供給される有機物量が少なく、土壌の生物活性も低い。そのため、土壌はその上着ともいえる腐植の集積量が少ない。もとより、水が少ないと無機成分の化学的風化も進み難いため、ヒトの筋肉・脂肪組織ともいえる二次鉱物(粘土鉱物)も生成し難い。カリフォルニア半島では土壌の材料(母材)の多くが花崗岩質であるため、風化が進みにくい。つまり、土壌母材がその質をあまり変えていない状態で存在することになる。塩類も洗い流されずに、土壌の中にたくさん残っている。だからといって、乾燥地土壊=塩類土壌というわけではない。この点は後述する。
土壌は母材(一次鉱物)の分解とその分解物からの二次鉱物生成、各種成分の移動と集積等のプロセスを経ていくつかの層に分かれてくる(層位の分化)。これには水が大きな役割を演じる。乾燥した環境ではこの変化が進みにくいため、多くの土壌はいわゆる「未熟」という状態で存在している。別な見方をすると、水が少ない状態で安定化しているということであるが、筋肉に乏しく、上着も充分に着込んでいない土壌は、もろもろの外部からの影響に耐えるキャパシティーが小さい。そのため作物栽培など、人間がこの土を利用するとき、適切な管理を施さなければ、作物の生産のみならず、土壌そのものもダメにしてしまうことになる。これは、灌漑という場面でもいえることである。
半島の土壌
概観すると、アメリカ農務省の土壌分類体系であるソイルタクソノミーによれば、乾燥地域の土壌を示すアリディソル(AridisoIs)に分類されるものは少なく、多くは未熟な土壌であるエンティソル(EntisoIs)に分類される。
半島内に分布する土壌をもう少し詳しくみると、資料が古いが、FAO/UNESCO(1972)の土壌図(図2)によれば、降水量がやや多い半島の北端と南端を除いて、イェルモソル(YermosoIs)が半島中央部を中心に全体をカバーするように分布している。これは、乾燥地の砂漠土壌であり、表層への腐植集積はほとんど認められない未熟な土壌である。半島中央部を南北に走山岳地帯には堅い岩盤の上に土層の浅いリソゾル(LithosoIs)が分布する。半島北部の険しい山岳地帯には非固結堆積物情に未熟な土壌であるレゴソル(RegosoIs)の分布が認められる。
降水量の多い半島の北部と南端部には、半乾燥地に分布する土壌が認められる。米国との国境近くの北部の太平洋岸、および半島南端部には下層に粘土の移動集積層を持つ塩基成分に富んだルビソル(LuvisoIs)が分布し、南端の標高の低いエリアにはステップ植生下でみられる表層に有機物の集積したカスタノゼム(Kastanozems)が認められる。カスタノゼムはチェルノーゼムより表層の黒味が弱い土壌と思ってもらえればよい。
半島中央部の太平洋岸の低地(ラグーン周辺)など海水の影響を受けた箇所に局所的に塩類集積土壌(ソロンチャック:Soloncak)が生成している。しかし、半島内の自然土壌の多くは水がだぶついた環境にないため(地下水位が低いため)、塩類集積を起こしてることは稀である。
半島中央部の砂漠土壌
半島中央部のビスカイノ砂漠に分布する3地点の土壌をJICAプロジェクト(メキシコ沙漠地域農業開発計画)に関わった1992年から93年にかけて調査した。調査地点は以下のとおり(図3)。
ゲレロネグロ(Guerrero negro)
北緯28度線直下の海岸砂丘
自然土壌2断面
G-n-1
:
やや小高い地点
G-n-2
:
ラグーンに近いG-n-1より数m低い地点
灌漑土壌2断面
G-i-1
:
点滴灌漑歴1年
G-i-2
:
点滴灌漑歴4年
ビスカイノ(Vizcaino)
:ゲレロネグロの南東方向に約70km離れた内陸砂漠
灌漑土壌1断面 V-i:畝間灌漑歴10年以上
ヘススマリア(Jesus maria)
:ゲレロネグロの北約40km離れた小高い台地面
自然土壌1断面 J-n:J-iの圃場に隣接
灌漑土壌1断面 J-i:畝間灌漑歴11年
自然土壌の特徴(ゲレロネグロとヘススマリア)
ゲレロネグロは砂質、ヘススマリアは粘土質!
ゲレロネグロの土壌は、細砂が90%を占める砂質土壌で、腐植の集積、層位の分化や土壌構造の発達もほとんど認めらなれかった。下層にやや赤味を帯びた少し粘土に富む層が存在していた。土壌中に小さな貝殻片が多量に含まれていた(図4)。 ヘススマリアは、耐乾性の強い植物(ビッドリージョ)でびっしりと覆われ、低灌木も点在していた。粘土分に富むことも相まって、わずかではあるが腐植が集積し、深さ40cm程度まで角塊状の土壌構造(粘質の土壊において乾湿を繰り返しで生成)の発達が認められた。土壌が非常に硬く締まっており、これは粘土鉱物の主体がスメクタイトであることに起因する
地下水位が低くければ、塩類化していない!
地下水位が低く保たれていれば、土性に関わらず表層への塩類集積は認められず、上層部は炭酸カルシウムが主体であり、ゲレロネグロの下層には、石膏(CaSo4)の集積が認められた。ゲレロネグロのラグーンに近い土壌は塩分に富む地下水位が高いため(地表2m以内に地下水面が存在?)、砂質な土性でも表層へ塩類が集積していた(図5)。土壌pHは概ね8以上あり、アルカリ性を呈していた。ヘススマリアでは全層が8.5以上のアルカリ土壌に判定される高い値を示した。
このような土壌に灌漑されると土壌にどのような変化が生じるのか?
乾燥地の自然土壌中の塩類は、水への溶解性に基づいて分布している。つまり、水に溶けやすいものほど、層の深くい部位に存在する。つまり、断面上部には炭酸カルシウムなどの水に溶けにくい塩類か存在し、その下位にやや水に溶けやすい硫酸カルシウムのような塩類が存在する。そして、ナトリウム塩や塩化物のような水に溶けやすい塩類は更に深い部位に存在する。問題なのは、灌漑になどによって過剰な水が施され、下層の可溶性塩類の存在部にまで水が届き、眠っている塩類を目覚めさせたときである。そうなると、猛烈なスピードで土壌が塩類化する。
灌漑水は地下水
カリフォルニア半島には灌漑の水源となる河川がないため、地下水を利用している。ゲレロネグロには、数10km南の地点の井戸からパイプラインで運ばれてきている。
ゲレロネグロの灌漑水の水質をFAOの基準で評価すると、決して良質とはいえないが使用には大きな問題はない水質である(表1)。ゲレロネグロの灌漑水は半島内では良質の部類に入る。他地域の水はこの数倍の塩類を含んでいる。しかし、土壌への塩類の付加を考えると、海水の1/100相当のNaClを含むことは楽観できない。また、徐々に、塩濃度が上昇してきている。
ビスカイノでは地下水の硝酸態窒素汚染が進行している。窒素濃度で示すと10ppm以上の値である。この水を飲用すると健康に悪影響を及ぼす可能性が高い。この付近の井戸の深さは40〜50m程度あることを考慮に入れると、事態は深刻である。
塩集積という点でみると‥。
程度の差はあれ、塩を含む水を灌漑すれば、表層へ塩が付加される(図7、8)!
ただし、土性によってその程度は大きく異なる。粘土に富むヘススマリアでは、表層への顕著な塩集積が認められ、中生作物の生育限界に近いレベルに達している。灌漑した水が土層中で停滞水となり、そこから表層に塩類が移動集積していると思われる。また、砂質であっても、灌漑履歴の長いビスカイノでは塩類集積土壌の基準を満たす量の塩が表層に集積している。ゲレロネグロでは、下層の塩含量が増加しており、砂質で透水性がよいため、灌漑による塩のリーチング(洗脱)も生じているとみられる。灌漑履歴等からみると、塩化物(NaCl)の集積が進行しているようである。
ヘススマリアから学ぶこと
粘質なヘススマリアの土壌には、灌漑によって塩化物を主体とする多量の塩が集積している(図9)。これは、作物生育の限界に近いレベルであるが、聞き取り調査によれば、収量の著しい低下は生じていないようである。今後、高濃度の塩分を含む水(表には示していないが4dS/m程度ある)を、畝間灌漑で多量に与え続ければ、遠くない将来、この土壌が作物栽培環境として不適になることは容易に予測できる。
しかし、このような水質の悪い灌漑水でも、10年間に渡って栽培できてきたことは、評価すべき点である。これは、水の絶対量が限られているため、世界の灌漑農地で問題になっている湛水害が生じなかったためであろう。灌漑を節水型のより効率的な方法に変えれば、より長期に渡って耕作を継続できるという、乾燥地で長期にわたる作物栽培を可能にする重要な示唆が含まれている。
ゲレロネグロでは予期せぬ事態が発生!
ゲレロネグロの造成圃場作土の塩類含量を面的にみると、ECが高い(可溶性塩類rich)箇所と低い箇所がある(図10)。これは造成によって自然土壌の下層が表層になったためで、主要な塩は硫酸カルシウムである(図11)。これは塩害という点では問題はない。
下層の★印の層(図12)が表層になったと仮定して、圃場の作土層の塩類組成を比較すると1年間の灌漑で塩の量の減少とともに、組成の変化が認められる(図13)。つまり、硫酸塩が減って塩化物が増加している。そして、カルシウム塩が減少し、ナトリウム塩が占める割合が増加している。重炭酸も占める割合が増加している。これは、灌漑によって硫酸カルシウムが洗い流され、逆に、灌漑水中の塩化ナトリウム、重炭酸ナトリウムによって、塩の組成が塩化物、重炭酸塩、ナトリウムが富む組成に変化していることを意味している。
それは土壌の著しいアルカリ化
塩類の洗脱に伴う塩組成の変化は土壌に大きな変化をもたらした。PHの著しい上昇である。塩類が洗脱されると(ECが低下すると)土壌のpHが大きく上昇していることがわかる(図14)。硫酸カルシウムが洗い流され、重炭酸ナトリウムに富む塩組成になると結果的に土壌溶液中にNaOH(水酸化ナトリウム)という強アルカリ性物質が生成するためである(図15)。
灌漑1年目では何とかpH9以下におさまっていたが、2年目には大半が9以上となり10に近い箇所も出現した(図16)。こうなっては、鉄などの微量要素の欠乏などが生じて作物の良好な生育はできない。囲場の随所で教科書に書いてあるとおりの典型的な微量要素欠乏症が発生していた。また、硝酸化成能も抑制され、窒素の肥効も低下する(図17)。この地域でよく用いられる尿素肥料はアルカリ化した土壌では4割程度しか硝酸に変化していない。
アルカリ化を抑えるためには、酸を与えて中和するしかない。日本では中和というと酸性を石灰などのアルカリ性物質で緩和させることが一般的であるが、当地では、硫酸を与えてアルカリ化をコントロールする。土壌が砂質であれば、このコントロールは行いやすいが、粘質な土壌でのアルカリ化は、物理性も悪化(透水性の悪化、緻密化等)し、土壌にとって致命的である。
まとめ(土壌に関連して)
この半島の耕作土壌の抱える問題は、大きく灌漑農業に起因する土壌の塩類化とアルカリ化、そして脆弱な土壌特性に起因する土壌侵食の二つに集約できると思われる。水資源の実態と将来予測、水の利用効率改善に関する検討、そして土壌管理による対策が重要であることはもちろんのことであるが、土壌の持続的な利用と保全のためには、土壌資源の分布と現状を広域、正確かつ精密に掌握することも重要である。
(土壌の分布を知る)
カリフォルニア半島に分布する土壌を総括すれば、乾燥条件下に生成した未熟な土壌といえるが、地形、地質は非常に入り組んでおり、気象条件も地域によって大きく異なっているため、地形や気候に対応した土壌の分布とその特性を明らかにする。
(各土壌の特性、とくに環境容量と持続性の評価)
環境容量という視点から、土壌劣化を起こさないようにするために、土壌の種類、気候、地形毎に農業生態区分を設け「ランドキャパシティーマップ」として示し、土壌のキャパシティーの枠内で持続的な農業生産を行うための指標の設定を行う必要がある。環境容量と持続的生産との接点をみいだし、農業生産と土壌のキャパシティとの間のミスマッチをなくしていくためにもこの地図は重要である。土壌の質は、一度損なわれると回復に時間がかかるため、少なくとも100年程度のタイムスケールで、将来の変化も見通せるような 指標の設定が必要である。また、これらの情報をもとに、どのような作付、生産方法が適しているかを表す土壌地図の作成は非常に有用であろう。
平成11年12月16日(木)開催「市民公開講座」テキストより転載