乾燥地における作物生産向上及び砂漠化防止技術に関する共同研究
(Mexico−Japan Joint Research on Preventing Desertification)
−平成10年度文部省科学研究費・国際学術研究・共同研究報告−

鳥取大学農学部 本名 俊正

  1. はじめに
     世界人口の急激な増加に伴い、近い将来に国際的な食料不足が予測され、その解決策の一つとして乾燥地農業が重要な役割を果たすことが期待されている。しかし、乾燥地農業は、一方では、塩類集積などによる砂漠化や地下水の枯渇など、地球的規模での急速な自然環境破壊をもたらしており、深刻な事態も拡大してきている。
     この原因は、適切な栽培技術・土壌管理技術が確立されていない乾燥地で、性急な作物生産の増大を目標とするあまり、土壌に過剰の負担が強いられ、その結果、急激な土壌劣化を引き起こし、不毛の地と化していることにある。メキシコもそのような国の一つである。
     本研究は、平成10年度文部省科学研究費・国際学術研究・共同研究として、鳥取大学とメキシコ北西部生物学研究センターとの間で、メキシコのカリフォルニア半島を対象として、乾燥地における自然生態系と農業生産技術の現状、さらに農業地帯で現れ始めた土壌劣化について、総合的な共同現地調査・情報収集を行い、問題点の解明とともに対策について検討し、あわせて今後の共同研究の方向性についても検討することを目的として行ったので報告する。
     従来、世界の乾燥地における農業開発は、水資源開発、潅漑方法、潅水量の決定といった面の研究が主であり、作物の培地である土壌環境について考慮されることは少なかった。そのために、土壌のもつ環境容量をはるかに超える負荷がかけられ、土壌の物理性、化学性、生物性が急速に劣悪化し、土壌の塩類化・アルカリ化など、いわゆる土壌劣化を引き起こし、植物の生育が困難になり、荒野として放棄され、農業がもたらす砂漠化の主要な原因となってきた。
     今回は、自然生態系とともに農業生産の現場を共同で現地調査し、作物栽培とともに収穫後の生産物の貯蔵流通などの面も含めてより広範な視点で検討をすることを計画した。乾燥地における永続的な農業を確立するために、基本的でかつ最も重要である土壌管理技術については、塩類集積・アルカリ化の初期の段階における防止と修復について明かにするとともに、土壌化学、土壌有機物学、土壌物理学、土壌微生物学、生物有機化学、作物栄養学、農業生産技術学、環境化学などの面から、問題点と対策について、総合的な情報収集、意見交換を計画した。
     カリフォルニア半島はメキシコ本土の北西部に位置し、アメリカの西海岸、サンデイゴから南に1500kmも伸びた細長い半島である。南端は一部亜熱帯の気候下にあるが、全体として極めて乾燥した気候帯に属し、年間の降雨量も100〜300mm程度である。植生としては各種のサボテンが広く分布しているが、これらの自然生態系においても種々の環境問題が起きていることが指摘されている。また半島全体には、常時水が流れている川はなく、農業は地下水に頼っており、持続的な農業の進展のためには、節水型の農業技術の導入が必須の状況下にある。
     いずれの砂漠でも同様であるが、乾燥地の生態系は極めて脆弱で微妙なバランスの上になり立っており、油断をすると短期間で、生態系の崩壊を招く恐れがあり、安定した農業開発には、長期的に継続した適切な手当が必要である。
     カリフォルニア半島のような極乾地域での研究成果は、自然生態系の保全と環境問題の解決とともに、持続的農業技術の開発のために、メキシコ以外の世界各地の乾燥地においても広く寄与できるものと考えられる。


  2. 鳥取大学農学部における乾燥地研究の取り組み
     鳥取大学農学部では、三十数年前から、当時付属施設であった砂丘研究施設を中心に、海外における乾燥地研究に積極的に取り組んできた。昭和41年のエジプトにおける砂漠開発のための技術協力をはじめとして、その後、中近東各地における調査が行われ、さらに昭和50年からはイランにおける海外学術調査が開始され、農学部の多くの教官が広範な研究分野で参加することになった。この時以来、鳥取大学農学部は、わが国の乾燥地研究の拠点として知られるようになった。
     その後、メキシコ・カリフォルニア半島・ゲレロ・ネグロにおいて、文部省海外学術調査が開始され、年降水量100mm以下という極乾燥地での野菜栽培を、日本のきめ細かい栽培技術によって成功させた。この研究はその後、国際協力事業団プロジェクト「メキシコ沙漠地域農業開発計画」(平成2〜9年2月)として発展し、乾燥地の研究・開発の一つのモデルとして高く評価されてきた。
     この計画では、鳥取大学農学部の多くの分野の研究者が参加し、現地において、地形・地質、土壌、気象観測などの基礎的な調査から、防風林、防風ネット、飛砂防止、点滴潅漑などの潅漑方式、潅漑水量、潅漑時期、土壌改良等の栽培環境の改善、さらに耐塩性、耐乾性、耐暑性を考慮した栽培技術の開発研究等、具体的でかつ総合的な研究が進められた。
     また、現地への技術の定着をスムーズに進めるために、カウンターパートの技術向上策の一つとして、現地とともに日本においても研修を行い、人材の養成につとめてきた。人材養成は、この計画の特徴の一つでもあったが、大学本来の目的でもあり、鳥取大学としても極めて有意義な計画であった。さらに今後とも果たすべき重要な課題でもある。
     また、鳥取大学では、この間にも中国をはじめ、中近東、アフリカ等の乾燥地で調査・研究のためのプロジェクトが実施され、農学部を中心にして、多くの教官が海外の乾燥地の現場で活踵するとともに、国内では基礎研究を積極的に行ってきた。
     さらに農学部の付属施設であった砂丘研究施設は、平成2年に全国共同利用施設・乾燥地研究センター、平成7年には中核的研究機関支援プログラム対象機関として発展し、鳥取大学の乾燥地研究は、日本の拠点としてばかりでなく、世界からも注目されるようになってきた。これにより、農学部と乾燥地研究センターとの協力関係はさらに飛躍的に進み、これまで以上により密接に、より高度な面での共同研究が進んでいる。
     そして、平成10年7月には、国際協力事業団プロジェクト「メキシコ沙漠地域農業開発計画」の後継機関に、メキシコ北西部生物学研究センター(CIBNOR)が決定し、ゲレロネグロの研究施設・圃場等を継承した。このことから、農学部とメキシコ北西部生物学研究センター(CIBNOR)の研究交流が進行することとなった。


  3. メキシコ北西部生物学研究センター(CIBNOR)
     今回の共同研究の相手機関であるメキシコ北西部生物学研究センターは、カリフォルニア半島の南端、ラパスに位置する国立の研究・教育機関であり、実験生物学、地圏・土壌圏生物学、海洋生物学、工学の4つの研究部門をもち、天然資源、植物資源、栽培漁業、生態環境評価、農業生産等の研究をすすめるとともに、博士課程、修士課程をもつ教育機関でもある。
     ゲレロネグロの他にもソノラ州のグアイマス、エルモシージョに付属の実験研究施設をもち、研究員は85名、テクニシャンは150名、その他スタッフが350名で構成されており、メキシコ国内でも最もレベルの高い研究教育機関の一つである。
     前述のように、平成10年7月に国際協力事業団プロジェクト「メキシコ沙漠地域農業開発計画」(ゲレロネグロ)の後継機関となったことを契機として、鳥取大学との交流は着実に進展しており、それらを背景として平成10年8月1日付けで、北西部生物学研究センターと鳥取大学間には学長レベルの学術交流協定が締結されている。
     そこで、本研究においても、これを機会に鳥取大学が取り組んでいる乾燥地農業及び環境保全のための研究と、北西部生物学研究センターが取り組んでいる乾燥地農業開発及び砂漠化防止の研究とを合体し、永続的な乾燥地農業の確立と環境保全のための共同研究を発展させようとした。


  4. 平成10年度の調査研究
    1)研究計画
     本研究は平成10年度のみの単年度の共同研究であり、1年間でどのような成果が上げられるかについて種々検討した。その結果、メキシコの現地における研究としては、南北1500kmに及ぶカリフォルニア半島全体の自然生態系と農業開発の実態を把握するための現地共同調査研究を行うこと、さらに現地研究交流会を主体として行うこととした。
     また、メキシコ側の研究者を日本に招き、鳥取大学において、メキシコにおける乾燥地研究の紹介のための公開セミナー・交流会を行うとともに、日本における先端技術の見学を計画した。
     当初、申請書で計画した共同研究項目を次に上げる。

    (1)海外現地調査
    @メキシコ砂漠における潅漑による土壌劣化の実態調査と原因究明。
    A土壌のアルカリ化・塩類化及び塩害の発生状況調査と改良・修復方法の検討。
    B潅漑水の管理方法と土壌劣化の進行に関する調査と修復方法の検討。
    C劣化土壌に対する各種土壌改良資材の検討。
    D土壌劣化に伴う作物の栄養吸収・栄養生理の問題点と栽培管理の対応策の検討。
    E劣化土壌における作物の効果的な養水分管理方法の検討。
    F土壌劣化に伴う土壌微生物・動物相の変動調査と対策の検討。
    G土壌劣化に伴う土壌侵食の実態調査及び防止対策の検討。
    H乾燥地における農業生産技術の実態調査。
    (2)招へい計画
     メキシコから6名の共同研究者を日本に招へいし、日本の計測・測定・分析技術を紹介するとともに乾燥地の開発及び生態系の保全と修復について共同討議を行う。
    (3)現地研究交流会
     現地研究交流会を開催するとともに、研究成果の総括及び研究報告書の刊行。
    2)共同研究の実施
     メキシコ側の研究者の日本への渡航は、平成11年2月13日〜23日の期間に行われ、日本からメキシコヘの渡航は、平成11年3月9日〜22日の期間に行われた。
     今回の共同研究によって、当初設定した課題の大半については、多くの成果が得られた。しかし、課題によっては、調査が短期間であった関係もあり、必ずしも十分に明解な成果が得らなかった点もあった。しかしながら、全体としては、各専門分野で非常に多くの成果が得られたこととともに、鳥取大学とメキシコ北西部生物学研究センターとの間で、共同研究を発展させる方向が相互に確認されており、今後の研究方向を示すいくつかの大きな成果が得られている。
     その一つは、カリフォルニア半島全体における自然生態系、及びそこでおきている多くの環境問題の把握ができたことである。今後は持続可能な農業生産のあり方とともに、自然生態系の保全を含む環境問題解決のための共同研究の進展が必要であることを痛切に感じた。
     また今回の現地調査では、メキシコ北西部生物学研究センターの他に、南バハカリフォルニア大学、さらにメキシコ農業牧畜農村開発省・農業畜産林業試験場(INIFAP)等の圃場見学を含めた交流も行われており、カリフォルニア半島全体の農業環境、自然環境、研究状況を把握する上で、極めて有意義であった。
     これらの共同研究の成果は主に以下のようにまとめられた。それぞれの研究分担者の成果は、本報告書の中にそれぞれまとめられている。
    @メキシコ・カリフォルニア半島(南北1,500km)における乾燥地の砂漠化、農業の問題についての現状を、メキシコ北西部生物学研究センターと共同で、現地調査した。
    A耕地においては、潅漑による土壌の塩類化・アルカリ化は徐々に、一部では急速に進行しており、放棄されている地域も拡大していた。また、地下水の水量の減少と、地下水層の急速な低下、さらに塩水化も進行しており、栽培作物に村する大きな脅威となっていた。さらに土壌線虫による作物の被害も拡大してきていた。現状では、これら土壌劣化に村する対策は十分でなく、安定した作物生産のために、早急に対策を確立する必要がある。
    B栽培管理、水管理、施肥管理等についても問題点があり、改善の必要がある。
    C自然生態系では、巨大なサボテン(300〜400年生)の立ち枯れ現象が、急速に拡大しており、原因の究明と対策が必要である。この問題は、これまであまり表面化していない新しい、深刻な問題である。
    D耕地、自然生態系ともに土壌流出(エロージョン)が大きな問題であり、現状の正確な調査と対策が必要である。
    E現地調査は各専門分野の意見とともに、問題点を総合的にとらえ、共通の認識にできた点でも大きな成果が得られた。
    Fメキシコ北西部生物学研究センターの研究員を日本に招へいし、鳥取大学で乾燥地研究のために進めている優れた環境制御、栽培管理、水管理、化学分析システム、情報解析等、先端的な研究を紹介したが、メキシコ側にとって、極めて大きな成果であった。
    G鳥取大学とメキシコで、それぞれ研究発表、研究交流会を計4回開催し、砂漠化防止と持続的な農業生産についての情報の交換を行った。現状の理解と相互の理解の上で非常に有意義であった。
    H今後さらに、乾燥地における砂漠化防止、生態系の保全、農業生産の向上のために、一層の研究交流を促進することで一致した。さらに大学院生、学部学生のための教育についても交流を深め、学生の相互交流、研究交流についても、具体的に進めることで一致した。
    I砂漠という場を通して、研究・教育の交流を進め、実質的な国際交流を進めるための基礎作りとしては、今回の共同研究は大きな成果を収めた。しかし、1年限りの予算ではやはり限界があり、今後さらに継続して共同研究・学術交流を積極的に進めたいと、本研究参加者全員が強く希望している。

     今後の永続的な食料生産基地としての可能性及び地球環境の保全・修復という観点からも、また基礎から実践的・応用的研究への展開の面からも、本研究は極めて重要な意義があり、今後も継続して長期的に問題解決にとりかかる必要があると考える。


  5. 今後の共同研究・交流の発展に向けて
    1)これからの共同研究
     乾燥地における永続的な食料生産基地としての可能性、及び地球環境の保全・修復という観点からも、また基礎から実践的・応用的研究への展開の面からも、本研究は極めて重要であり、長期的に継続して問題解決にとり組む必要がある。
     地球上の多くの乾燥地が、潅漑農業による土壌のアルカリ化・塩類集積によって、放棄され、砂漠化し、文明もまた衰退してきていることは周知の通りである。ゲレロネグロを含めたカリフォルニア半島のような極乾燥地における土壊の劣化・アルカリ化の問題解決は、これら地球上の多くの乾燥地の問題解決に新しい方向を示し、大きく貢献できる可能性が極めて高い。
     乾燥地の多くは地下水による潅漑農業であり、地下水を補給不可能な天然資源の一つと考えると、水資源の枯渇という根本的な問題もある。これらの問題の解決には、様々な困難が伴うが、人類の未来のため、積極的に取り組み、解決せねばならない。
     また、カリフォルニア半島の南から北に、1500kmもの長い距離を自動車で移動しながら感じたことは、この1500kmの間絶え間なく延々と続くサボテンをはじめとした自然生態系の保全ということである。一部地区では原因不明の現象によってサボテンの枯死現象が起きており、広大な自然の砂漠にも静かに深く、環境問題が押し迫っている印象を受けた。地球上における種の多様性の維持の面からも、これら自然生態系の保全と人間による開発のあり方を広い視野で検討する必要がある。
     これからの課題としては、自然生態系の保全と安定した農業生産のために、作物栽培の方法の改善、超節水栽培の開発と普及、乾燥地に適した新しい作物の開発、砂漠化防止、劣化土壌の修復、自然エネルギーである風力・太陽エネルギーの利用による海水の淡水化、自然生態系の調査、環境汚染の防止、その他数多くの課題が挙げられるが、根本的な解決には、地球的な視野に立つとともに、地域の特徴を生かして、現地を中心とした長期的・総合的な共同研究を縦続することが必要である。
     幸い、鳥取大学にはこれまでに乾燥地についての長い歴史と基礎研究の蓄積、さらに教官・学生を含めた経験豊富な多くの優れた人材が集まっている。また、今回の共同研究の相手機関であるメキシコ北西部生物学研究センター(CIBNOR)もまた優れた人材と研究施設と意欲がある。今後さらに、研究者・学生の交流を含めた、日本とメキシコの共同研究を継続・発展させる必要がある。
    2)教育の交流
     鳥取大学農学部学生のための乾燥地に関する教育については長い歴史の蓄積があるが、組織としてよりも個々の教官の活発な意欲によって支えられてきたのが実状である。卒論研究などでは、これまでも乾燥地研究センターとの協力関係により、密接に進んでいるが、新入生については個々の教官の努力によって乾燥地に関する教育が行われてきた。
     しかし、近年益々多くの新入生が乾燥地に関心を持って入学してくることから、平成11年度入学生から新しく乾燥地教育専門のコースが開設され、学部の2年生から乾燥地に関する専門的な教育を受けることが可能となった。これによって、鳥取大学では、農学部の新入学生から大学院まで、一貫した乾燥地研究・教育が可能となり、学部学生の時代から、海外での調査に参加する機会もこれまで以上にさらに多くなるものと期待されている。
     幸い、本研究の対応機関であるメキシコ北西部生物学研究センター(博士課程・修士課程をもつ)とは学術交流協定が結ばれており、現地の施設を活用した乾燥地研究・教育を中心として、近い将来には単位の互換等も考慮した、大学間交流・学生研究指導の交流構想が実質的にスタートし始めているのが現状である。
     このように、鳥取大学農学部では、日本の乾燥地研究・教育の拠点校として、魅力的で特徴ある教育・研究の発展をめざしており、教育と基礎研究、さらに世界各地における乾燥地の現場での研究・教育から、世界の環境問題・食料問題の解決のために貢献したいと考え、これまで以上に積極的な耽り組みを開始し、発展させようとしている。


    (平成10年度・文部省科学研究費・国際学術研究・共同研究「乾燥地における作物生産向上及び砂漠化防止技術に関する共同研究」報告書からまとめた)

平成11年12月16日(木)開催「市民公開講座」テキストより転載